
演技もトークもお笑いも、何でもバツグンに上手にできる、と芸能界でひそかに旋風を巻き起こしている、松岡茉優です。
人気ドラマ「あまちゃん」出演で世間の認知度がかなり上がったのではないのでしょうか。
2008年から2010年までおはガールも務めていましたね。
さもここんところ数年で出てきた新顔のような振る舞いぶりの、この松岡茉優。
目次
実はジュニアアイドル出身!その黒い歴史とは・・・
松岡茉優は実はジュニアアイドルとして、小学2年生の時にデビューを果たしてるんですよ。
きっかけとなったのは、妹なんです。
お母さんと妹と歩いていたら、妹だけが芸能事務所にスカウトされたのだそうです。
ちなみに当時、松岡茉優小学2年生、妹はわずか3歳だったそうです。
おむつの取れたばっかりの、赤ちゃんを脱したばかりの3歳の妹、松岡日菜です。
なんて残酷なんでしょうねえ。
お母さんは、まだ幼い松岡茉優だけ家に残していくことができず、妹の事務所面接に一緒に連れて行ったそうです。
面接官に顔を会わせたその時点で、妹・松岡日菜のまっさらなアイドルとしてのデビューは確定してたのだそうです。
そして、面接官はお母さんの後ろに隠れていた松岡茉優にこう声をかけたといいます。
「あなたも芸能界に入る?」
担当した面接官の、松岡茉優への同情心なのか知りませんが、この一言で松岡茉優のその後の人生が大きく変わりました。
すぐにデビューさせてもらえたこの姉妹ですが、すでに格差のある対応だったといいます。
純白なイメージで売り出された妹の松岡日菜に対し、松岡茉優には黒い仕事しか回ってこなかったといいます。
嫌な黒い仕事から逃れるために、松岡茉優が必死で身に着けた技があります。
それは、「モノマネ」です!
面白い顔をすることができるジュニアアイドルとして、少しずつテレビの仕事もちらほら来るようになったのだとか。
モノマネ、って言っても、要は「変顔のできるジュニアアイドル」の枠からなかなか脱却できなかったと松岡茉優は言います。
そして、そんな様子を間のあたりに見てきた妹・松岡日菜はさっさと芸能界を引退してしまいます。
変顔で日々を乗り越えていた松岡茉優は、どんどん成長していきました。
肉体が、です。
そしてジュニアアイドルの宿命の、極小ビキニでの、「撮影会」
この撮影会がどうしてもイヤだった松岡茉優は、撮影会から逃れたい一心で、モノマネを一生懸命するようになりました。
この事は、妹はもちろんのこと、お母さんさえも知らなかったのだそうです。
この頃には、松岡茉優は、体は細身なのに、胸はどんどん成長していきました。
なんでも、Dカップは既にあったそうですから、年齢の割にかなりグラマーですよね。
そうしたらもう、周りがほっておきませんよね。
この頃には、このように、服を着ててもふっくら大きい胸は分かるくらいだったんです。
極小ビキニはどうにかモノマネで乗り越えたものの、次の試練は・・・?
細いのに胸だけが発達するなんて、そんなアイドル、あんまりいなかったのだそうです。
今みたいに豊胸手術をしたグラビアアイドルもあまりいなかった頃ですからね。
当然のように、松岡茉優には、水着の仕事が回ってくるようになります。
もちろん、今度は極小ビキニではなくて、普通の水着ですよ。
水着のグラビアモデルとしては文句なし!モノマネのレベルもハンパなく上手い!性格もいい!トークも面白い!
こんな松岡茉優を芸能関係者がほっておくと思いますか?
そして、だんだんお芝居のお仕事がまわって来るようになったのです。
バラエティでも活躍を見せてますね。
河村隆一相手に・・・
河村隆一とお買いもの対戦したことがあるんですが、買い物前に、まず出した財布に松岡茉優は、
「わっ高そうな財布!」
大きな声で無邪気にそう、ありのままの感想をはっきりと言いました。
ちなみに河村隆一の財布はクロコダイルのエルメスの財布だったんですね。
対する松岡茉優の財布はファンシー系財布。
その時点で、松岡茉優は河村隆一を尊敬のまなざしで見ていました。
この顔!この見上げ方!
素直で可愛いな、とファンじゃなくとも思ってしまったのではないのでしょうか。
愛くるしいといった表現がピッタリですね。
松岡茉優は、石田ひかりに面影がある、として、年配の人のファンも多くいます。
そして、当然、若者の支持があるのはもちろんのことです。
事実として、松岡茉優のトークってすごく面白いんですよね。
これから、松岡茉優はどんどん大きくなって女優としてさらなる磨きがかかることでしょうね。