Pocket

この記事は約 1 11 秒で読めます。

元祖ストーカー殺人事件を「爆報!THEフライデー」で放送されて話題になっています。1970年代に流行したアイドルの江美早江さんが、全身に22か所も刺されるというショッキングな事件でした。

江美さんの画像

歌って踊れるアイドルとして活動をしていた江美さんですが、メッタ刺しにした犯人は元夫の屋代昭彦さんでした。江美さんは36歳という若さで亡くなり、元夫である屋代さんとどんな問題があったのでしょうか。

元祖ストーカー殺人事件の真相とは?

江美早苗さんの本名は神田美恵で昭和26年に島根県に生まれました。6歳からバレエを習っていて、小学2年の頃には西野バレエ団に入団するのですね。松江市内の高校に進学して中退してしまいます。

そして、東京に行き西野バレエ団で活躍するのですね。西野バレエ団で結成されたダンスグループの「レ・ガールズ」に参加して、テレビ出演や音楽、バラエティーなどでも活躍しはじめます。そして、レコードを出版するなか、担当ディレクターをしていた屋代昭彦と出会うのです。

江美早江さんと屋代昭彦さんの関係

「新婚さんいらっしゃい」に1971年に司会者として抜擢されるのですね。当時は桂三枝と月亭可朝とのコンビでスタートしたのですが、半年で降板してしまいます。江美さんはその後に「呪いの館 血を吸う眼」で女優をして、その映画が彼女の代表作になっています。

しかし、21歳で芸能界を突然引退しているのですね。実家のある松江市に戻って生活していました。しかし、一年後には東京に戻って作詞家として活動を開始します。

中里綴という芸名で活動していて、「人恋しくて」などのヒット曲もあります。その活動を裏で支えていたのも、元夫である屋代昭彦なんですね。人恋しくては大ヒットして、第17回レコード大賞歌唱賞を受賞して、一躍時の人となりました。

「元祖ストーカー殺人事件」由来

その後に屋代昭彦と結婚するも、4年間で結婚生活は終わりをむかえます。離婚してから江美さんは「神田エミ」という名前で活動を再開するのですね。そして、元夫の屋代昭彦さんがストーカーになり、復縁をせまるのです。

1988年の3月5日には「死ぬ―」という叫び声が自宅マンションから聞こえたそうなんですね。そして、付近に住んでいる住人が警察を呼んで、血まみれになっている江美さんを発見するのです。屋代とは不倫関係の略奪婚だったそうで、不倫して屋代の奥さんが亡くなってしまうのですね。

そして、亡くなってしまったことを悔やんで、江美さんは芸能活動を引退していたのです。次第に屋代さんの仕事は少なくなって収入が減っていく中で関係は悪化して離婚していたそうです。

当時はストーカー規制法なんてものはほとんどありませんでしたから、「元祖ストーカー殺人事件」という名前がついたのでしょう。