
オートレースの90年代を導いたといっても過言ではない、セアの申し子が急死したことで話題になっています。急死するまで現役だった片平巧選手が20日に亡くなりました。
まだ49歳と若く、片平は10日には船橋G1に出場する予定だったのですが、体調不良のために欠場しているのですね。死亡原因は現在のところ公開しされていません。
片平の家族の考えで非公開にしたそうです。自宅で亡くなっており、もしかしたら家族の人間だけ知っている事情があるのかもしれません。
片平巧選手のオートレース人生
片平は埼玉県出身で、85年には船橋所属にてデビューを飾りました。史上初の
するなど、まさに名前の巧であるかごとくのテクニックでこれまでの功績を築いてきました。賞金王には2回、MVPには3回、優勝は15回とその実力はすさまじく、成績は3709戦1137勝でかなりの実力者で人気もありました。これだけの成績ですからね。獲得賞金も15億円を超えるほどで、お金の心配をすることもなかったと思います。最近でも結構活躍していたそうで、G1に出場していたそうです。
船橋オートレースの金銭事情
しかし、悩みもあったようで、船橋オートレースは赤字だったそうで、地方の財源の圧迫の原因でもあったそうなんです。施設の老朽化が激しく、その施設をなおすためには15億円ほどかかるそうなんですが、オートレースそのものに、それだけの黒字をだせることはできなかったそうです。
ファン層が高齢化するなか、あたらしいファンを獲得することができないで、経営難になっていたそうなんです。オートレースも全国に6か所しかなく、船橋は結構、小規模な施設だったので、廃止になる可能性が高かったそうなんですね。
若いファンの獲得が必要です
元SMAPのメンバーである森選手が活躍している時代には、若い女性のファンがかなりいたそうなんですが、近頃ではブームがすっかり衰えてしまってファンの確保が難しい状態になっていたそうなんですね。
近頃では競馬などもどんどんと廃止になっていますからね。若い人のオートレースに対する興味も薄れてきているそうなんです。片平巧選手が亡くなったことはとても悲しいことですね。
オートレース界も若い人が興味のでるように、全国をあげてPRや人気選手の育成に着手しないといけないかもしれませんね。