Pocket

この記事は約 0 55 秒で読めます。

数多くの人が常識に縛られて、社会に適応しながら生活をしています。オウム真理教というものがかつてあり、人々はその存在に恐怖したものでした。

常識の画像

彼らの多くには高学歴の人やインテリ層と呼ばれる人も多くいました。

現実というものはとても流動的なものなので、常識は常に変化をします。

オウム真理教の常識「安保法案」の真実

現在の日本も大きく変わろうとしているのですね。安保法案改正による、国民全員の戦争に対する意見があります。

安保法案賛成の人もいれば、反対の人も多いでしょう。日本の勉強のシステムは常に常識を植え付けていくようなシステムになっています。

専門的な知識を教える大学でさえ、考えさせる学問よりも模倣的な答えを探す学問になりつつあります。

戦争というもののシステムとは?

常識を常識として疑わないことは実は大変おそろしいことなのかもしれません。戦争が発生すると、戦争という常識を主に考えて、人は人殺しを肯定してしまうのですね。

それは一種の恐怖であり、また普通として処理される可能性のあるものです。

流動的な社会だからこそ、人は自分の考えを持たなければならないのかもしれません。

人々は常識を疑わない

オウム真理教に入った人々も、それを常識として疑わなかったからこそ、あれだけの悲惨な事件を巻き起こしたのです。

人は何かを繰り返してしまうものです。過ちを犯しても、また忘れてしまい、一部の先導的な人間をもとに、再び過ちを繰り返します。

安保法案は正解それとも不正解

安保法案に対しても、あの法案が間違っていたのか、正しかったのかは、ある時期が過ぎて結果として残らないと分からないのかもしれません。

日本を守るための法案でもありますし、また日本を戦争に参加させるための法案でもあります。

常識に流されない精神を育む

人間常識に流されている方が案外楽なのですね。多数決で常識は決まってきますから、それに従えばいいわけですし、誰かに傷つけられる心配も少ないでしょう。

しかし、時に本当にこのことが正しいのか、間違っているのか、自らの判断で考えることがこれからの社会では必要になってきます。